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ありがとう「そら」2

「そら」が天国へ行ってしまった今、改めて彼の存在の大きさを感じずにはいられない。
今考えると、そらがいなかったらきっと我が家は寂しいものになっていたと思う。
小さなその命は、僕達家族に少なからずとも笑顔と優しさと癒しとホッとさせる時間を与えてくれた。

母のために飼い始めた「そら」だが、母よりも誰よりも一番かわいがっていたのが実は親父である。
真面目で厳しく怖い親父が、そらを前にすると目尻を下げ柔らかな表情を浮かべるのである。
ご飯も犬のご飯とは思えない程、手の込んだものを自分で作って用意し食べさせるぐらい溺愛しまくっていた。
中でも印象的だったのは、親父がそらに対し話をしていた時である。
話と言っても、親父が一方的にそらに話しかけているだけなので、親父の独り言に近いのだが、それでも黙って自分の話を聞いてくれるそらの存在は大きかったのだろう、何か心の中に溜まるものがあった時はそらに話をしているようだった。
それからそらが交通事故に遭った時、血を流してキャンキャン鳴きながら民家に逃げ込み、混乱状態に陥ったそらを何回も噛み付かれながらも、優しく抱きしめ病院へ連れて行ったのも親父だ。もう本当に自分の息子のようだったのだろう。
そらが死ぬ最後の最後までかわいがり、そらの死を発見したのも親父だった。

母もそらの存在に心身共に随分助けられたようである。
病後の母を外に積極的に連れ出してくれたのも、そらだった。
病気のことでいつも自分の体を心配し不安でいっぱいだった気持ちをほぐしてくれたのも、そらだった。
小さな子犬だったそらがおしっこをする時初めて片足を上げてした時、最初にそれを見たのは母で、その喜びを伝えてくれた時のあの光景が懐かしい。
そういえば我が家の犬を紹介するというローカルテレビのワンコーナーにそらと共に出演も果たしたことがある。
インタビューに答える母を尻目に、暴れ回るそら姿と慌てふためく母の姿に、ゲラゲラ笑った。
そんなそらと母は特別な想いでつながっていたのだと思う。
そらが死んだ時、母が

「ほんとにあの子にはありがとうやねぇ。」

と言ったその短い言葉の中にはきっとそらが生きた15年分の感謝の気持ちが詰まっていたに違いない。


僕はそんなそらの生涯を想った時に、とても幸せな人生だったに違いないと思った。
僕達家族(特に父と母)がそらから与えられたものは大きいけど、逆にそらが僕達家族(特に父と母)に与えてもらった愛も大きかったんだろうなと思う。
そらがいなくなったことは純粋に悲しいが、だけど彼と過ごせたこの良き15年間があるからこそ、僕達家族の心の中でそらはずっと生き続ける。


ありがとうそら

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