6月23日、僕はガンゼという町を目指していた。
鳥葬を見た町、リタンを出た僕はバスで12時間かけてカンディンという町まで行き、そこでガンゼ行きのミニタクシーを拾い乗り込んだわけだが、これが過酷な旅の始まりだった。
ミニタクシーというと何だか聞こえはいいが、いわゆる乗り合いミニバンのことで、狭い車内にぎゅうぎゅう詰めにして乗らされるのだ。
大抵は大人8人でぎゅうぎゅうなのだが、運賃を少しでも多く取ってやろうという商魂たくましい運転手ともなると無理矢理10人以上乗せることもある。
そうなるともはや、ギャグである。
安全性とか、快適性とか、そんなことはどうでもよく、ただ「たくさん乗ればいい」という一点に置いてのみ彼らは凄まじいまでのパワーを発揮するのである。
そんなギャグをピクリとも笑わずに真面目にやる輩がこの国にはごまんといるのだ。
幸いなことに僕が乗り込んだミニバンの運転手はそんな無茶をすることもなく、こちらでいう常識的な乗車人数を守り出発した(とは言っても、かなりぎゅうぎゅうですが)
車内には僕を含めて7人の客と運転手、計8人が乗り込んだ。
よく見ると、中国人と思われる客が3人、そしてチベット人と思われる客が3人と運転手、そして日本人の僕。
車内はちょっとした小旅行のような浮かれた雰囲気で、お互い知らない客同士が楽しそうに喋っている。
もちろん彼らが話す言語は中国語。
中国によるチベットの同化政策により、チベット人の多くはチベット語の他に中国語も話すことができるのだ。
僕一人が全くその会話の内容を理解できないまま、雰囲気だけを楽しんでいた。
車内を見渡すとチベット人のドライバーだけあって、その中はチベット仏教ゆかりの品々で飾られていた。
黄色や赤や白の布に経典の文字がプリントされたタルチョと呼ばれる布で車内の天井を飾りつけ、高僧と思われるブロマイド写真が貼られている。
その写真の中に、僕も知っているあの有名な人物の写真が飾ってあったのだ。
そう、言わずと知れたダライラマ14世の写真である。
彼は中国の圧政下にあるチベット人にとって、心の拠り所であり大きな精神的支柱である。
彼そのものがチベットそのものと言っても過言ではないぐらい、彼はチベットの精神を体現している。
中国によるチベットの”侵略”から逃れた彼は今現在インドのダラムサラでチベット亡命政府を樹立し、多くのチベット人難民を受け入れると共に、国際社会にチベットの自治を認めるよう、広く働きかけている。
その長年の功績が認められノーベル平和賞を受賞した。
しかし中国政府にとっては、彼の存在は”チベット独立を煽動する傀儡者”としか見ておらず、中国国内においてダライラマ14世に関する情報規制を行ったり、ダライラマグッズを持つことなどは禁止されている。
そんなことを百も承知の上で、このチベット人ドライバーは敬愛するダライラマ14世の肖像写真を堂々と飾っているのであった。
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眼鏡の手を合わせている人がダライラマ14世
さて、このミニバンが走り出してかれこれ10時間は経っただろうか。
ずいぶん前から雨にぬかるんだ未舗装の道路を走りっぱなしだ。
凸凹道のおかげで天井に頭はぶつけるし、振動も半端ない。
すっかり体力を消耗しきって、いい加減この状況から解放されたいとばかり考えていた。
余談だがこの未舗装の道路、チベット圏へ通じる道にはつきものである。
近年めざましい経済発展を遂げている中国といえども、インフラ整備が不十分な地域が多い。
中国があまりにも広大すぎるというのもあるのだが、特にチベットエリアというのは、標高も高く険しい山が連なっているということもあるのだろう。
まだまだ未舗装の道路が多く、僕ら移動者の頭を悩ませるのであった。
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ミニバンはそんな悪路をのろのろと進みながら、いつの間にか大草原広がる雄大な景色の中を走っていた。
車内にはチベタンミュージックが流れ(かなりの大音量で)その音楽と景色がやけに合っている。
「あ~、あとどれぐらい乗ってなきゃいけないんだろう」
そんなことを思いながらうんざりしていると、草原の真ん中に大きな建物が建っているのが見えてきた。
大草原に建つそのコンクリート製の建物は、この場所に似つかわしくない、何か不自然な感じがした。
道はその建物の方に延びている。
やがてミニバンはその建物の近くまでやって来た。
すると道の真ん中に立っている連中がいるではないか。
よく見ると、その連中というのは公安(中国の警察)で、その建物というのは公安局(警察署)だったのだ。
「止まれー!止まれー!」
と腕を左右に振りながら警官達が僕達のミニバンに向かって合図している。
道の側にはパトカーが数台停まっている。
ドライバーはその合図に素直に従い、車を停めた。
すると帽子を目深に被り、制服に身を包んだ警官が小走りにミニバンの側にやって来た。
彼はドライバーに
「身分証明書を出せ」
と言い身分証をチェックした後、今度は僕達を見渡し身分証の提示を求めて来た。
僕以外の客は小さな身分証カードを、僕はパスポートを出した。
一通り僕らの身元を確認したその警官は、今度は車内をくまなく調べ始めた。
それはもはや調べるというよりも、荒らすと言った方が良さそうなぐらい車内をグチャグチャにしながら調べる彼。
と、彼の眼がバックミラーに掲げてある一枚のブロマイド写真に写った瞬間、彼の動きが止まった。
そう、あのダライラマ14世の写真を見つけたのだ。
「おい、これは何だ!!」
と、すごい剣幕でドライバーに詰め寄る。
一瞬のうちに車内の空気が凍り付き、緊張感が走った。
ドライバーはその警官に下車することを命じられ、公安局の中に連れて行かれた。
もちろん、ダライラマ14世の写真も持って。
ドライバーが連行され車内に取り残された僕達は、皆一様に固い表情を浮かべていた。
そしてただただ彼が帰ってくるのを待つしかなかった。
しかしいくら待てども待てども彼が帰ってくる気配がない。
しまいには、しびれを切らした3人の中国人達は車内を下り、自らヒッチハイクをしてさっさと行ってしまった。
これは民族性の違いなのだろうか、或いは個人の性格の違いなのだろうか。
取り残されたチベット人3人と僕は苦い表情を浮かべ、ひたすら彼の帰ってくるのを待った。
そして待つこと2時間。
少し落ち込んだ表情のドライバーが戻って来た。
とにかく戻って来てくれたことが嬉しくて僕は彼に
「よかったな、よかったな」
と言葉をかけた。
彼は
「クソ!」
とは言わず、笑顔を浮かべ
「賄賂を渡してようやく解放されたよ。100元も払った」
と身振り手振りで僕に教えてくれた。
彼らは決して金を払えとは言わずに、暗にそのことを匂わせてくるのだそうだ。
そしてもちろん、ダライラマ14世の肖像写真は没収された。
僕はとにかく彼が無傷で戻って来てくれたことが何よりも嬉しかった。
それと同時に心の底から沸き上がってきたのは「怒り」だった。
それは「大切なもの」を奪うというあってはならない行為に対してである。
果たして公安の彼らにそれを奪う権利はあるのだろうか。
それが彼らの職務なのか、それともそんなことを考えたこともないのか、僕には判別できない。
しかし、もし彼らの大切なものを踏みにじられたら彼らはどう感じるのだろうか。
明らかに想像力の欠如ではないだろうか。
何かやるせない気持ちになりながら、僕はそのことを一生懸命彼らに伝えた。(英語も通じないので僕が言ってることは全く分からなかったと思うが)
しかし彼らは僕と一緒になって怒るわけではなく、まあしょうがないよと言った雰囲気なのだ。
そして彼らはさっき起こったことを
「わはは!」
と笑い話にしているではないか。
そしてドライバーは僕の方を見てニヤリと笑いかけ、バックミラーのふたを外し、そこから何と小さなペンダントのようなものを見せてくれた。
そのペンダントの中を見てみると、何と!
ダライラマ14世の小さな小さな肖像写真だった。
「あいつらはこれ見つけられなかったんだぜ」
といたずらっ子の目つきのドライバー。
怒り心頭だった僕もこれには思わず笑ってしまい、痛快な気分にさせられた。
そして、僕の心を見透かしたかのように、彼は自分の胸をドンドンと叩き、笑った。
それはあたかも、
「大切なものは誰にだって奪えやしない。ここにあるんだから」
と言っているようだった。
そうか、そうだよなと改めて思うのであった。
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ドライバーの彼
そしてミニバンは無事目的地のガンゼに到着した。
鳥葬を見た町、リタンを出た僕はバスで12時間かけてカンディンという町まで行き、そこでガンゼ行きのミニタクシーを拾い乗り込んだわけだが、これが過酷な旅の始まりだった。
ミニタクシーというと何だか聞こえはいいが、いわゆる乗り合いミニバンのことで、狭い車内にぎゅうぎゅう詰めにして乗らされるのだ。
大抵は大人8人でぎゅうぎゅうなのだが、運賃を少しでも多く取ってやろうという商魂たくましい運転手ともなると無理矢理10人以上乗せることもある。
そうなるともはや、ギャグである。
安全性とか、快適性とか、そんなことはどうでもよく、ただ「たくさん乗ればいい」という一点に置いてのみ彼らは凄まじいまでのパワーを発揮するのである。
そんなギャグをピクリとも笑わずに真面目にやる輩がこの国にはごまんといるのだ。
幸いなことに僕が乗り込んだミニバンの運転手はそんな無茶をすることもなく、こちらでいう常識的な乗車人数を守り出発した(とは言っても、かなりぎゅうぎゅうですが)
車内には僕を含めて7人の客と運転手、計8人が乗り込んだ。
よく見ると、中国人と思われる客が3人、そしてチベット人と思われる客が3人と運転手、そして日本人の僕。
車内はちょっとした小旅行のような浮かれた雰囲気で、お互い知らない客同士が楽しそうに喋っている。
もちろん彼らが話す言語は中国語。
中国によるチベットの同化政策により、チベット人の多くはチベット語の他に中国語も話すことができるのだ。
僕一人が全くその会話の内容を理解できないまま、雰囲気だけを楽しんでいた。
車内を見渡すとチベット人のドライバーだけあって、その中はチベット仏教ゆかりの品々で飾られていた。
黄色や赤や白の布に経典の文字がプリントされたタルチョと呼ばれる布で車内の天井を飾りつけ、高僧と思われるブロマイド写真が貼られている。
その写真の中に、僕も知っているあの有名な人物の写真が飾ってあったのだ。
そう、言わずと知れたダライラマ14世の写真である。
彼は中国の圧政下にあるチベット人にとって、心の拠り所であり大きな精神的支柱である。
彼そのものがチベットそのものと言っても過言ではないぐらい、彼はチベットの精神を体現している。
中国によるチベットの”侵略”から逃れた彼は今現在インドのダラムサラでチベット亡命政府を樹立し、多くのチベット人難民を受け入れると共に、国際社会にチベットの自治を認めるよう、広く働きかけている。
その長年の功績が認められノーベル平和賞を受賞した。
しかし中国政府にとっては、彼の存在は”チベット独立を煽動する傀儡者”としか見ておらず、中国国内においてダライラマ14世に関する情報規制を行ったり、ダライラマグッズを持つことなどは禁止されている。
そんなことを百も承知の上で、このチベット人ドライバーは敬愛するダライラマ14世の肖像写真を堂々と飾っているのであった。
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眼鏡の手を合わせている人がダライラマ14世
さて、このミニバンが走り出してかれこれ10時間は経っただろうか。
ずいぶん前から雨にぬかるんだ未舗装の道路を走りっぱなしだ。
凸凹道のおかげで天井に頭はぶつけるし、振動も半端ない。
すっかり体力を消耗しきって、いい加減この状況から解放されたいとばかり考えていた。
余談だがこの未舗装の道路、チベット圏へ通じる道にはつきものである。
近年めざましい経済発展を遂げている中国といえども、インフラ整備が不十分な地域が多い。
中国があまりにも広大すぎるというのもあるのだが、特にチベットエリアというのは、標高も高く険しい山が連なっているということもあるのだろう。
まだまだ未舗装の道路が多く、僕ら移動者の頭を悩ませるのであった。
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ミニバンはそんな悪路をのろのろと進みながら、いつの間にか大草原広がる雄大な景色の中を走っていた。
車内にはチベタンミュージックが流れ(かなりの大音量で)その音楽と景色がやけに合っている。
「あ~、あとどれぐらい乗ってなきゃいけないんだろう」
そんなことを思いながらうんざりしていると、草原の真ん中に大きな建物が建っているのが見えてきた。
大草原に建つそのコンクリート製の建物は、この場所に似つかわしくない、何か不自然な感じがした。
道はその建物の方に延びている。
やがてミニバンはその建物の近くまでやって来た。
すると道の真ん中に立っている連中がいるではないか。
よく見ると、その連中というのは公安(中国の警察)で、その建物というのは公安局(警察署)だったのだ。
「止まれー!止まれー!」
と腕を左右に振りながら警官達が僕達のミニバンに向かって合図している。
道の側にはパトカーが数台停まっている。
ドライバーはその合図に素直に従い、車を停めた。
すると帽子を目深に被り、制服に身を包んだ警官が小走りにミニバンの側にやって来た。
彼はドライバーに
「身分証明書を出せ」
と言い身分証をチェックした後、今度は僕達を見渡し身分証の提示を求めて来た。
僕以外の客は小さな身分証カードを、僕はパスポートを出した。
一通り僕らの身元を確認したその警官は、今度は車内をくまなく調べ始めた。
それはもはや調べるというよりも、荒らすと言った方が良さそうなぐらい車内をグチャグチャにしながら調べる彼。
と、彼の眼がバックミラーに掲げてある一枚のブロマイド写真に写った瞬間、彼の動きが止まった。
そう、あのダライラマ14世の写真を見つけたのだ。
「おい、これは何だ!!」
と、すごい剣幕でドライバーに詰め寄る。
一瞬のうちに車内の空気が凍り付き、緊張感が走った。
ドライバーはその警官に下車することを命じられ、公安局の中に連れて行かれた。
もちろん、ダライラマ14世の写真も持って。
ドライバーが連行され車内に取り残された僕達は、皆一様に固い表情を浮かべていた。
そしてただただ彼が帰ってくるのを待つしかなかった。
しかしいくら待てども待てども彼が帰ってくる気配がない。
しまいには、しびれを切らした3人の中国人達は車内を下り、自らヒッチハイクをしてさっさと行ってしまった。
これは民族性の違いなのだろうか、或いは個人の性格の違いなのだろうか。
取り残されたチベット人3人と僕は苦い表情を浮かべ、ひたすら彼の帰ってくるのを待った。
そして待つこと2時間。
少し落ち込んだ表情のドライバーが戻って来た。
とにかく戻って来てくれたことが嬉しくて僕は彼に
「よかったな、よかったな」
と言葉をかけた。
彼は
「クソ!」
とは言わず、笑顔を浮かべ
「賄賂を渡してようやく解放されたよ。100元も払った」
と身振り手振りで僕に教えてくれた。
彼らは決して金を払えとは言わずに、暗にそのことを匂わせてくるのだそうだ。
そしてもちろん、ダライラマ14世の肖像写真は没収された。
僕はとにかく彼が無傷で戻って来てくれたことが何よりも嬉しかった。
それと同時に心の底から沸き上がってきたのは「怒り」だった。
それは「大切なもの」を奪うというあってはならない行為に対してである。
果たして公安の彼らにそれを奪う権利はあるのだろうか。
それが彼らの職務なのか、それともそんなことを考えたこともないのか、僕には判別できない。
しかし、もし彼らの大切なものを踏みにじられたら彼らはどう感じるのだろうか。
明らかに想像力の欠如ではないだろうか。
何かやるせない気持ちになりながら、僕はそのことを一生懸命彼らに伝えた。(英語も通じないので僕が言ってることは全く分からなかったと思うが)
しかし彼らは僕と一緒になって怒るわけではなく、まあしょうがないよと言った雰囲気なのだ。
そして彼らはさっき起こったことを
「わはは!」
と笑い話にしているではないか。
そしてドライバーは僕の方を見てニヤリと笑いかけ、バックミラーのふたを外し、そこから何と小さなペンダントのようなものを見せてくれた。
そのペンダントの中を見てみると、何と!
ダライラマ14世の小さな小さな肖像写真だった。
「あいつらはこれ見つけられなかったんだぜ」
といたずらっ子の目つきのドライバー。
怒り心頭だった僕もこれには思わず笑ってしまい、痛快な気分にさせられた。
そして、僕の心を見透かしたかのように、彼は自分の胸をドンドンと叩き、笑った。
それはあたかも、
「大切なものは誰にだって奪えやしない。ここにあるんだから」
と言っているようだった。
そうか、そうだよなと改めて思うのであった。
Image may be NSFW.
Clik here to view.

ドライバーの彼
そしてミニバンは無事目的地のガンゼに到着した。